彼女たちの売春(ワリキリ) 社会からの斥力、出会い系の引力
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内容紹介
出会い系メディアを通じて“ワリキリ"を行う女性100人超にインタビュー
彼女たちがなぜワリキリを行うのか? その理由に耳を傾けることは、すなわちこの社会がどのような状態にあるのかを明らかにする作業でもあるーー
戦後のある時期までは社会問題として論じられ、政府による政策も一応は行われてきた売春問題。
しかし、いつしかそれは過去のものとされ、気づけば、個人の心の問題――道徳観の欠如や価値観の変化――として語られるようになっていった。
しかし、100人超のワリキリ=売春女性のインタビューを通じて見えてきたのは、変わらない、そしてあまりに脆弱なこの社会の姿だった。
DV、精神疾患、家庭環境、雇用不足、男女格差、借金など、社会から斥けられた“彼女たち"は、「居場所」を求め、
「今よりマシになるため」の手段を求め、出会い系に引き寄せられた。彼女たちが語る壮絶な物語と膨大な統計データの組み合わせにより、
現代の売春=の実像があぶりだされる。気鋭の評論家による待望のルポ。
【本書の構成】
プロローグ
1章 社会的な引力・斥力 ……風俗・ワリキリ・精神疾患
2章 排除の果て、アウトサイドの包摂 ……虐待・ホスト・ドメスティックバイオレンス
3章 貧困型売春と格差型売春と ……学歴、貧困、ハウジングプア
4章 母親としての重圧 ……離婚、中絶、シングルマザー
5章 全国ワリキリ事情 ……車、パチンコ、買春旅行
6章 3・11 ……地震、津波、原発事故
7章 ナナとの出会い……日記、メール、妊娠報告
8章 買う側の論理……喫茶、サイト、利用データ
9章 出会い喫茶のルーツ……自己決定、自己責任、自由市場
エピローグ
巻末「ワリキリ白書」
(2011年調査)より--------------------------------------------------------
ワリキリを始めた平均年齢 ● 20.7歳
風俗経験 ●あり39人 /風俗経験はないがキャバはある24人/なし37人
精神疾患 ●病識あり30人/病識はないが自傷行為の経験あり17人/病識なし53人
DV経験 ●あり33人 /なし67人
内容(「BOOK」データベースより)
100人を超える“彼女たち”へのインタビューから浮き彫りになる、なかったことにされてきた不幸。
著者について
荻上チキ (おぎうえ ちき)
1981年生まれ。評論家・編集者。
メールマガジン『αSYNODOS』『困ってるズ』、ニュースサイト「シノドスジャーナル」編集長。
政治経済から社会問題まで幅広いジャンルで取材・評論活動を行う。
2010年3月より、『週刊SPA!』(扶桑社)にて「週刊チキーーダ! 」連載開始。
著作に『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)、 『セックスメディア30年史』 (ちくま新書)、『ネットいじめ 』(PHP新書)、
『ウェブ炎上』(ちくま新書)。共著に『社会運動の戸惑い』(勁草書房)、『ダメ情報の見分けかた』 (NHK出版) 、『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、
『日本思想という病』、『経済成長って何で必要なんだろう?』、『 日本を変える「知」』(いずれも光文社SYNODOS READINGS)。
編著に『日本の難題をかたづけよう』 (光文社新書)がある。
絶望を減らす作業をしよう――
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
荻上/チキ
1981年生まれ。評論家・編集者。メールマガジン『αSYNODOS』『困ってるズ』、ニュースサイト『シノドスジャーナル』編集長。政治経済から社会問題まで幅広いジャンルで取材・評論活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
荻上チキ『彼女たちの売春(ワリキリ) 社会からの斥力、出会い系の引力』(扶桑社、2012年)を読了した。
本書に至る契機
この本を読むに至るまでには一つの筋道がある。そもそもの始めより、若者の性にまつわる文化には大変興味があった。宮台真司『制服少女たちの選択』はかねてより読みたいと思っているのだが、今となっては入手がほとんど困難である。研究の関心がセクシュアリティ、それも男性側のものへと内省的に向かっていた折、生協の書店にて坂爪真吾『男子の貞操 ――僕らの性は、僕らが語る』(ちくま新書、2014年)に思わず目が留まり、それを私はすっかり読んだ。一般社団法人ホワイトハンズを主宰し、社会学者として性の問題に実践的に取り組んできた著者は、そうした性の現実について記述した優れた書籍をSNSにて時おり紹介している。そのうちのうち目に留まった一冊が仁藤夢乃『女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち』(光文社新書、2014年)、そしてもう一冊が荻上チキ『彼女たちの売春(ワリキリ) 社会からの斥力、出会い系の引力』(扶桑社、2012年)であった。
『女子高生の裏社会』は現代のJKビジネスについて、そこで働く女子高生へのインタヴューを通じて極めて冷静にかつ克明に記述したうえで、「子供の現実に目を背けず、大人の側から関係性を築き直す」という、ささやかではあるがはっきりした解決への指針を示した名著であった。それだけに、ジュニアアイドルやエロゲに対する著者のSNSでの感情的なコメントには意外な印象を受けもした。
『彼女たちの売春』はその二年前に出版されたもので、出会い系メディアを介して行われる現代日本の売春(ワリキリ)について広範に取材し、今日に至るまで解決されていない社会問題としてその現状を記述・分析した書である。現在、売春という業態不定の性産業についてまとまった統計データを示したものとしては恐らく他に類を見ない。取材方法は当事者女性へのインタヴューとアンケートであるが、その調査の手法が凄まじい。かたや出会い系喫茶に自ら出向いては片っ端から「トーク」を申し込み、かたや出会い系サイトを巡回しては手当たり次第にメールを送り付け、そしてようやくワリキリ女性との取材に漕ぎつける。こうして得られたアンケート結果は計画的に統計され、調査対象となった女性の総数は三年間でのべ2600人にも及ぶ。しかし読んでいてやはり興味深いのは、インタヴューの中で語られるワリキリ女性の経歴や疾患、ワリキリにまつわるいくつもの体験談、すなわち出会い系に身を置く女性の社会現実である。
ワリキリの研究に至る著者の経歴には個人的に惹かれるところがある。学生時代から出会い系喫茶を利用していたという著者は、当初から「出会いそのものよりは、観察のほうが目的」だったという。そして「友人や(元)恋人が見ている光景を共有してみたい」という思いが、彼をこの世界へと駆り立てたのであった。私がそこに目を向けるのもまた、「知ってしまった者の義務」からかもしれない。
私はソープランドやピンクサロンといった性風俗はもとより、出会い喫茶やガールズバーといった水商売のサービスを受けたことがない。出会い喫茶はおろか、メイド喫茶にさえ行った経験もない。こうした夜の業界に関心を持つようになったきっかけの一つは『女子高生の裏社会』を読んだことであって、それらを手掛ける人々が息づく夜の都市に少女が繰り出し、たやすくその中に取り込まれていることを知って私は戦慄した。大学に入ってもなお都市に生きることを知らなかった私にとって、大通りから一歩外れた夜の街はとても恐ろしい世界である。去年、地元神戸の名だたる風俗店街、福原・柳町の中を通行しようと足を踏み入れたものの、店番の男に声を掛けられると、私は肝を冷やしてたちまち退散したのであった。他方でそんな都市に幼くしてはぐれ込んだ「不良少女」を私はよく知っている。彼女は一体どのような思いで、それらの世界を見てきたのだろうか?児童福祉をめぐる最近の私の関心は、その目を共にしたかったという思いに間違いなく根を持つものである。
本書の内容と私の感想
ワリキリとは「お金だけで割り切った、大人の関係」。あけすけに言えば「売春行為(ウリ)」のことである。ワリキリの対価として取引されるのは金銭であり、彼女たちはその金銭を切実に必要としている。出会い系メディアはそうした女性を、異性との出会いや買春目当ての男性と引き合わせる役割を果たしている。
出会い喫茶は「出会い」を求める男女のための会員制の喫茶店である。男女別々に仕切られたルームにそれぞれの客が控え、基本的には男性が女性のプロフィールカードを勘定し、「トーク」を申し込む。そこで五分ないし十分の制限時間で両者間の「交渉」がなされ、それが成立すれば外出となる。外で男性客は自身のおごりで女性客とカラオケに行ったり、共に食事をしたりするほか、形式上は禁止されているものの売買春も行うことがある。喫茶店の利用料はもちろん、それらの体験に対価を支払うのは男性であり、他方で女性は無料で喫茶店を利用できる。店舗勤務ではなくあくまで喫茶店なので、時間を気にすることもない。出会い系サイトは出会いの場が掲示板上に移ったもので、交渉はメールを通じて行われる。こちらは自宅でできるため、喫茶店に出向く必要もない。
ワリキリを行う理由は一様ではない。日々の食事や住居にも困窮している「貧困型売春」もあれば、遊ぶ金が欲しかったり将来のために貯金をしたいという「格差型売春」(あるいは「落差型売春」)もある。また彼女たちはしばしば鬱病やパニック障碍といった疾患などのために他の職業に就くことが難しく、社会からの斥力をその身に受けている。ワリキリとても職業として行っているわけではない、ましてやそこで行われる性行為そのものに生きる意義を見出しているわけではないが、時間に制約されない、サービスを強要されない、中間マージンを取られないといった出会い系メディアの利点は、彼女たちにとって強力な引力として作用する。
彼女たちの証言からは、一概に貧困とか底辺とは言えない女性たちの現状を窺い知ることができた。ホストが心の拠り所になっている者。自傷行為の絶えない者。家庭からは追い出され、住む家を探して男の住居を転々とする者。借金のカタを背負わされ、その返済のためにワリキリを続ける者……。その言葉が真実かどうか疑う必要があろうか?話が聞きたいと取材を申し出る誠実な珍客に、初めて語り出される自らの経験もまた真剣だと思う。
そこまで素直に信じてよいものかは分からないが、出会い喫茶発祥の地と言われる大阪の「ツーバなんば店」の創業者・福田氏の話は読んでいて非常に面白く、また考えさせられた。親に捨てられ、貧しい農家に引き取られ、弁護士を目指すも高校を中退して大阪に出てきた彼は、「アングラな仕事」で莫大な資産を築くも博打で蕩尽、そのうえ難病に罹って余命を宣告される。一時はあいりん地区でホームレスとして暮らすも、「ババア」の声に一念発起して風俗店を創業。しかしそこで「ダメだわ。こんなことしとったら。女の子がかわいそうすぎる」と思い立ち、「自分を傷つけて、汗と涙を流してつくったお金なんやし、全部自分でもらっていい」と、店の規則や給与体系に縛りつけない売春の場をこしらえた。これが彼の言う「コンビニ喫茶店」であり、後に出会い喫茶と呼ばれるようになる業務形態である。
「必要悪なんですよ、風俗って」と語る彼の言葉には、政治家が語る同じ言葉より遥かに重みと凄みがある。彼もまた人生の瀬戸際で、性産業に活路を見出した一人だったのだ。社会の安穏を謳う市民はこのような現実を果たしてこれまで直視しようとしてきただろうか?本当は彼らこそが無批判に彼女たちを搾取してきたのではないだろうか。
「今よりマシになるために」ワリキリを行う彼女たちに対して、社会はその施策を考え直さねばならない。この本はそうした問題に光を当て、ワリキリの現場に至る道筋を示した。折しも2020年に開催される東京オリンピックに向け、歌舞伎町や吉原といった東京の歓楽街は都市から一掃されるのではと危惧されてもいる。そうでなくとも風営法はますます強化される趨勢にある。しかしそれは最低限のセーフティネットとして作用していた労働の場を奪い、性風俗に従事してきた人々をもっと酷い暮らしに突き落とすものである。
性産業の現状を是認しようというのではない。最善の策を練るためにはまずその現状をよく見なければならない。臭いものには蓋をする態度に、果たして何ができようか。
ここに集められた体験談を読む者は、この日本にワリキリを行う女性が十万人前後存在しており、一日に少なくとも一万件以上のワリキリが成立しているという現実に思いを遣らずにはいられないだろう(とはいえやはりこの本を手に取るに至るのは、もとよりそうした問題意識を持った者であろうが)。しかしそれで十分ではない。読者には「知ってしまった者の義務」があるのである。
「買春男に彼女たちを抱かせることをやめたいなら、社会で彼女たちを抱きしめてやれ。」我々も社会の現実から目を逸らさず、生=性の現場に踏み込んでいかなければならない。ワリキリとは異なる、別のやり方で。